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父 の 事 ・・・。

父は

令和 2年 4月20日 朝9時

母のもとへ
旅立ってしまいました。

満93歳 大往生でした。

不謹慎かもしれませんが
想いが叶いました。

30年位前だったと思います

私がまだ後を継ぐか否か
迷いながら仕事をしていた時です

扇松園はいい時も悪い時もありました

横に居た私の前で

父と母と・・・。

俺が一人になっても
どんなことがあっても
扇松園を続ける!!

と言い切っていたのを聞いてしまいました

きっと
一度もぶれないで
仕事に向かっていたことと思います

その時から

父は扇松園から
送りだしてあげたい。

それまでは扇松園を続けなくては!
と決心しました。

父は
扇松園をとても愛していました

国鉄を40代で退職

退職金でマイクロバスを買い

日が昇り明るくなり始めましたら
猫という一輪車で

土を運び

石を運び

花を運び

扇松園の庭を造り始め

石もだんだん大きくなって
クレーンを使って
いつの間にか庭が出来上がっていました

屋上の大きな看板
「扇 松 園」も
作りました

フインランドサウナも旭川で一番でした

本格的な車庫を作り
車の下にもぐってバスの修理もしました

ボイラー修理も業者さんより得意でした。

近所の旅館の方から

夜遅くに
ボイラー故障してしまった
との電話があると

直ぐにかけ付け修理をしました

そんな父でした。

とても頑固でした。

でも
心の優しい父でした

まがった事は嫌いでした

スキー国体では日本で一番でした

山登り、

冬山スキー

子供でも手加減せず
連れていかれました。

小学生の時

朝6時30分からのラジオ体操

360日くらい・・

雨でも雪でも嵐でも。。。

常盤公園で体操をして

千鳥が池を2周しなくては
一日が始まりません

薪割り

屋根の雪下ろし

タイヤ交換

女・男は全く気にしません

夕方暗くなってから家に戻ると
(冬は4時前には暗いのですが。。)

凄い勢いで叱られ

家の暗室の中へ。
(趣味でカメラもしていました。
昔は天皇陛下も最前列で撮っていた様です)

暗室の中は、時間が経っても目が慣れず
ずっと真っ暗なのです

怖かったのを強烈に覚えています

キャンプ

海水浴

何処へでも
連れていってくれました。

お蔭様で

おてんば娘が出来上がりました。。。

毎日 毎日
コツコツと造り上げた庭

父が愛した扇松園から

送りだしたいと

ずっ~と  ずっ~と
思っていました

誰が何と言おうと
送りだしたかったのです!

想いがかないました・・・。

洪岳禅寺さんから頂きました

戒名「翁壽院洪岳徳彰禅居士」

父 高橋彰久 行年95歳

扇松園二代目 会長

大変お世話になりました。

心から

ありがとうございました。